そして新米パパは小腸がんになった。

働き盛りの30代、長男生まれて2ヶ月後、新米パパは小腸がんになった。がん患者の日常と心情を徒然なるままに綴るブログ。

-23- 味。

朝、必ず回診がある。

 

カーテンをシャッていきなり開けるので、油断していると危ない。

 

「絶飲食、どうですか?」

 

どうですか、って言われてもなぁ…。

 

いやー、キツいです。でもまあ、もう慣れましたよ。

 

「そうですねー。もう1ヶ月になりますもんねー。キツいですよねー。」

「それじゃ、飴玉はオッケーにしましょう。」

 

……え?

 

今、何と………?

 

「喉渇いちゃうかもしれないからほどほどですけど、飴玉ならいいですよ。水は絶対飲まないように気をつけて下さいね。」

 

…………え?

 

ほんとですかっ?

 

「ほんとですよ。」

 

 もっと早く言ってよっ、とは思わなかった。

先生がカーテンを閉めるや否や、下の売店に行く準備を始める。

 

 こんなに希望に満ちた気持ちで、病院の廊下を管だらけで点滴引き摺りながら歩くことがあろうか。

 

どれにしようかな〜。

 

こんなに飴をウキウキで真剣に選んだことがあろうか。

 

ベッドに戻り、袋をガサガサ。

 

え、いいんだよね?口の中入れていいんだよね?後からやっぱりダメでしたとかないよね?

 

オレンジ味の飴玉、ドキドキしながら口に運ぶ。

 

…………………………!

 

味だ………。

味がある…………。

 

こんな素晴らしいことはない。何味とか関係なく、味があることだけで素晴らしい。1ヶ月間自分の唾の味しか味わってなかったのだから。

飴玉1個をこんなに美味しいと思うことは後にも先にもないだろう。

気がつけば引き出しの中で飴の種類が増えていっていた。

 

 

 

 

手術の日が決まった。

先生がかなり無理してスケジュールを融通してくれたらしい。

この日から1週間後の朝一番。 

-22- とあるおじさんの苦悩。

「昨日の検査の結果が出ましたよ。他に転移はしてないです。大丈夫、手術できますよ。」

 

 あぁ…     よかった…。

 

ありがとうございます。よろしくお願いします。

 

「小腸から離れたところには転移してないけど、小腸と大腸の周りにはがんがいくらか広がってるようなんですわ。目に見えるがんは根こそぎ手術で取っちゃいますわ。ただ、お腹開いてみて、どう広がってるかでちょっと状況変わることはあるかもしれんですけど。」

 

関西弁の陽気な口調で五寸釘を刺してきますなぁ。

 

全て任せると決めてこの病院に来た。

 

お任せします。と一言だけ言った。

 

「我々も全力でやりますから。がんばっていきましょ。」

「また後日、ご家族交えて手術の詳しい説明しますから。」

 

 

 

 

ベッドが移動になった。

大部屋でも、景色のよい窓際は差額ベッド代が1日5600円かかる。最低限の医療保険しか入ってないにわか管理職の自分には痛い出費だ。看護師さんにお金がないことを超遠回しに伝えたら、全て察してくれて差額なしのベッドに移してくれた。たまたま空きが出たようでラッキーだった。しかも同じ部屋の斜向かいのベッド。

 

僕が元いたベッドにはすぐ入れ替わりで新しく入院してきた患者さんが入ったようだ。

カーテン越しで声しか聞こえないけど、声が大きくて元気な患者さんだ。

 

次の日の夜、看護師さんの困った声が聞こえてきた。

その患者さん、採血と血糖値の測定をやりたくないとお怒りの様子。医者の説明が曖昧で、がんなのかどうかわからない、信用できないから採血もやらせない…ですって。

まだ検査の結果が出てないようだから、そりゃ医者は軽々しくがんですとは言わないと思うんだけど…。でもね、気持ちはわかる。わかるよおじさん。たぶん同室の他の二人もわかると思う。

 

不安なんだ。

不安で仕方ないんだ。

 

まさか自分が。何で自分が。

 

この病院に来たということは、ほぼ間違いはないのだろう。看護師さんに、自分は今まで暴飲暴食もしないで健康に気を遣って、まじめに生きてきた、って訴えていた。おじさんは夜中何度もうなされて起きてた。

 

 

告知を受けるまでには、覚悟を決めておくことにしよう、おじさん。

看護師さんも、困ってるから。

 

 

 

 

-21- トモダチ。

さすがの専門病院。内視鏡検査だけを行う大きな病棟がある。

点滴とイレウス管を引き摺りながらフラフラしばらく歩いて移動。大腸カメラはここのところ週1ペースでお尻に入れていたので、綿棒でも耳に入れるかのような気楽さだった。

 

世の中そううまくいかないものである。

 

なんか、前の病院のより、太い…?

太いような気がする。あ、苦しいかも。うん、これ苦しい。

 

ぷすーーーっ

 

空気が抜ければ楽に…     ならないな、これ。

いや、僕は大腸カメラにプライドを持っている。大腸カメラはトモダチだ。耐えてみせる。

 

あの、あとどのくらいかかります?

 

「ちょっと長めに見ていきたいんで、あと20分か30分ぐらいですかね。もう一人先生が後から来ますし。」

 

げっ、30分?!

 

…………。

 

トモダチが牙を剥いてきたら、どうすればいい?

 

………………。

 

これまでどんな検査のときも色々と何かを捩じ込むときも、麻酔は一切使わなかった歴史の重みを噛みしめつつ、その重みをかなぐり捨てることにした。

 

あの、ちょっと30分は無理かもしれないです…。

 

「じゃあ、麻酔しちゃいましょう。」

看護師さんがササっと準備して、手早く注射を打たれたと思ったらもう寝ていたようだ。どんだけ麻酔が効きやすいんだ。目が覚めたらもう終わっていた。あらやだ、何だか恥ずかしい。

こりゃ手術のときも麻酔は問題なさそうだ。

 

 

 

 

相変わらず不安はあった。

 

前の病院では、リンパ節は腫れているが今のところ、見た限り、転移はしていないと言われた。

この病院のCTは最新式だという。しかもCTも大腸カメラも、がんに長けた何人もの医者が転移していないか全力で見てくるわけだ。

 

そしたら、見つかっちゃうんじゃ……?

 

いや、転移してるなら見つからなくちゃいけないんだけど、それはそれで恐ろしいことであって…。

 

 

次の日の朝、先生が病室に来た。

 

 

 

 

 

 

-20- 握手と陽気。

大都会のど真ん中だった。

 

高層の窓から見える景色は、およそイメージしてきた病院のそれとは似つかわしくない豪華さだった。

 

「話は前の病院の先生から聞いてますよ。一緒にがんばっていきましょうね。」

 

 

握手が印象的に力強い先生と、陽気な関西弁の先生の2人が担当になってくれた。

プロフェッショナルとは案外こういう性格の人なのかも知れない。自分も仕事復帰できたら、お客さんに力強く握手するか陽気に話しかけてみようか。

 

「入院初日から申し訳ないんですが、早速これからCT撮りますよ。一応画像は前の病院から貰ってるけど、隅々まで調べるから。ウチのCTは日本で最新式だからね。バッチリ見ていきますよ。」

「どういうとこ見ていくかというと、他にがんが飛んでないかどうかを重点的に見ますよ。」

 

大部屋の病室で、大声でがんがどうこうの会話ができるのはさすががん専門病院。普通の病院じゃそうはいかないよなぁ。

 

えっと、もし、もし転移が見つかったら…?

 

「手術の方法が大幅に変わるよね。手術で取れないようなところに万が一飛んでたら、辛抱強く治療していかなきゃいけないこともまあ、ありますね。」

 

さすがに、ハッキリと患者に言う。

 

「そのイレウス管と絶飲食がほんと辛そうだから、どっちにしても手術して管取りましょ。ご飯も手術したら食べられるようにすぐなるから。手術は今スケジュール調整してるけど、とにもかくにもCTと大腸カメラで調べないとね。」

 

早くも先生に後光が見え始めましたよ。

管と絶飲食。これがなくなるなら、何にでも耐えますよ。

 

 

ところでCTなのだが、実のところ前の病院で撮ったとき撮りながら吐いてしまっていた。

イレウス管が突っ込まれた直後に造影剤入れたのがマズかったのか、豪快にやってしまった。何も食べてないから大惨事にはならなかったけど。これまで健康診断とかでも、造影剤は苦手だった。気持ち悪くなっちゃうんだよね。

 

一応その旨看護師さんと技師の人に伝えた。

そしたら、過保護過ぎるぐらい色々気を遣いながらやってくれた。すいませんねほんともう…なんか申し訳ないです。

でも造影剤入れるために刺した針がその日1日刺しっぱなしだったのはご愛嬌。

 

 

看護師さんはみんな若くて優しくてかわいい人ばっかり。この病院の特殊性考えると、ちょっと意外。みんなこう見えて、修羅場くぐってるだろうな。こんな病気ばっかりだと患者さんも色んなこと考えちゃうし色んな人いるし、色々ありそうだろうに。

 

 

大部屋の4人のうち、自分含めた3人が絶飲食のようだ。隣のベッドのおじいさんは明日手術らしい。真ん前のベッドのおじさんは術後の予後がよくないらしい。斜向かいのベッドのおじさんは明日退院らしい。カーテン越しでもどんどん情報は入ってくる。明日手術のおじいさんは、長い期間かかって遠くから出てきて、ようやくこの病院での手術を明日やれることになった。よかったねぇおじいちゃん、と娘らしい人が声をかけている。

まあがんになった時点でよかったねも何もないけどね、と、長期の管と絶飲食で卑屈になった隣のベッドの新参者が心の中でひねくれる。

 

でもその後徐々に、あぁ、この病院来れてよかったなぁと、このひねくれ者も思うようになっていくのだった。

 

 

 

さ、明日はここ最近で3回目の大腸カメラ。

もう慣れたもんですぜ、とお尻の穴も言っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-19- 暴走する妄想。

「乳児は色々と感染の恐れがあるので、病院には連れてこないように。」

 

事前に病院から言われていた。

 

何ということだ…。

生ける宝物、又の名を長男に会えない…ですって…?

 

医者がそう言うならしょうがないけど…。

転院前の病院では、1階の待合室までなら連れてこれた。

 

生後2ヶ月の長男。恥を忍んで堂々と敢えて言おう。

世界で一番かわいい。

異論は認めない。

 

まだ目の前のおじさ…いや、お兄さんがパパなのか見知らぬ変なおじ…お兄さんなのか全く区別がつかない年齢で、パパがんになっちゃってごめんね。パパがんばるよ。こうなったらこの子は将来医者になってもらうかなぁ…ふふふ。でもその時は大人の事情で医学部は国立に入ってもらいたいなぁ。スポーツは何をやらせようかなぁ。やっぱりサッカーかなぁ。モテそうだもんなぁ。パパがやってた水泳は同じところひたすら往復する地味極まりない練習風景なスポーツだからなぁ。サッカーは練習風景が既にかっこいいからなぁ。やっぱり練習風景がかっこよくないと。バスケもいいなぁ。まあなんにしても、素直な子に育ってくれればいいなぁ。パパだいすきーなんて言われたらもうどうしようふふふふふへへ。うーん、寝顔…かわいいなぁ…ふふふふふふふへ。

 

書いてたらキリがない妄想しながら待合室で鼻から管出しながら抱っこするのが無上の楽しみだったのだけど。

 

仕方ないです…これも息子のため、ガマンします。

ということで、転院先の病院に着いたとき、駐車場の車の中で30分抱っこしてた。だって次会うときは治って退院したときだから。

 

まあ奥さんには毎日写真をLINEしてもらうけどねっ。

 

 

うん、そうだ。次に会うときは治ったときなんだ。

 

がんばろう。

何があっても、耐えよう。

 

小さな寝息を聞きながら、そう思った。

 

 

-18- 流れ行く景色。

転院先の病院は車で30分程。

親が車で来てくれた。

 

最初に入院したこの病院は、初め夜間救急で来たときは3時間待たされたり結局胃腸炎って言われたり、正直第一印象は良くなかったけども。いざ入院したら先生達は真摯に、丁寧に対応してくれた。色々苦しい処置はあったけど。例えばイレウス管とか、イレウス管入れながらの胃カメラとか。あと、イレウス管とか。

 

看護師さん達が、見送ってくれた。

 

こんな鼻から管出た若い子(注:80歳と比べて)を優しく面倒みてくれてありがとうございました。

鼻の管を止めるテープを張り替えるときに、ミリ単位のこだわり要求をしてた以外は、扱いやすい大人しい患者だったと思います。

 

治ったら、挨拶に来ますね。お菓子持って。

 

 

 

駐車場へ通じる裏口を出て久し振りのシャバの空気を感じながら、パジャマのままで紙袋を持った30代男がフラフラ車に乗り込む。紙袋の中身は、もちろん腸液を溜め込む袋だ。バッチリ鼻と繋がっている。

 

流れ行く久し振りのシャバの景色は、もはやただの憧れの景色だった。

この景色の中を、普通に、ただただ普通に、歩きたい。

 

あと、ご飯食べたい。

 

 

色々道を間違えながら、病院に到着。

 

とても広い病院だ。

3階まで吹き抜けになっている受付待合室にパジャマで座っているのは1人だけだったが、とにかくたくさんの人がいる。

 

ここは、日本有数のがん専門病院。

そう、この病院にいる患者は全員、がんなんだ。

そうか…同じなのか。

ここにいる人全員、あの夜を過ごしてきたのか。患者本人も、その家族も。

 

がんを乗り越えられそうな気がする。

そういう気にさせてくれる病院。

 

 

さあさあ、第2ラウンドの始まりだ。

 

 

 

 

 

 

 

-17- いったりきたり。

「明後日、転院できるそうです。すぐに検査をして、なるべく早く手術も段取りしてくれるそうです。」

 

後で聞いたが、事前に連絡は一本していたそうだ。

ありがたい話だ。

とてもスムーズに転院ができそうだ。

 

覚悟は決まった。

専門家中の専門家に全て委ね、がんを克服しよう、と。

 

…………………。

 

 

夜。

 

早期発見じゃなかった。

もし…転移していたら……。

小腸がんの5年後生存率20%…。

見つかるときは大体転移している…。

 

5人中4人が、死ぬ。

 

頭から離れない。

気にしないようにしても、離れない。

 

女々しいと言われればそれまでだけど、気になるものは気になる。

 

「見る限りでは」

「今の時点では」

そんな但し書き付きが気になって仕方なかった。

転移=アウト、ではないことはわかってるけど、転移した場所が問題なのはわかってるけど。

 

ほんの少し前まで、自分の人生とは無縁。可能性なんてゼロだと当然に思っていた。というより、一瞬たりとも考えもしなかった。がんへの不安、恐れ、ストレス。

 

 

 

息子、まだ生まれて3ヶ月だよ…。

かわいくてしかたない息子。

 

成長を、見ていたいなぁ…………。

 

もしかしたら、見れなくなるのか………いやだなぁ………………。

 

目の前が滲んでくる。

 

 ……………。

 

 

 

 

転院の、朝になった。

 

 

 

-16- プライド。

ドラマや映画やら、勝手にイメージしていた告知ってもっとこう…なんて言うか……仰々しいものだと思っていたけど、案外アッサリなものなのね…。

 

覚悟はしていた。

 

うん。

 

がんである、ということは受け入れた。

実際そこに存在しているのだから、受け入れざるを得ない。

あとは、治るかどうかだ。

 

 

 

よく言われる、クローン病による炎症からがんにかかったわけではないんですか?

クローン病にはかかっていません。がんだけです。」

 

転移はしているんですか?

「レントゲンで見た限り、転移はしていないと思います。ただ、リンパ節が腫れている部分があります。リンパ節が腫れていると、もしかしたら転移している可能性はあります。もしくはこれから転移する可能性は高いです。」

 

心が、ざわっ…とする。

 

治るんでしょうか?

「手術して、悪い部分を根こそぎ取り除くことができれば、十分根治を目指せる状態ではあります。」

 

リンパ節が腫れていて、今にも転移してしまうということはないんでしょうか?

「数日とか数週間とかの時間で大きく進行する、ということはありません。ただ、早く手術するに越したことはないですが。」 

 

とにかく、転移が怖かった。

何がどう具体的に怖いのかは、正直知らない。とにかくがんでは転移が怖いんだ、というイメージだった。

 

ステージはいくつなんですか?

「小腸がんは希少がんなので、他のがんのようにはっきりとしたステージの基準のようなものはないのですが、転移は認められないことを考えると、ステージ3ではないかと思います。少なくとも早期発見では残念ながら、ありません。」

 

ステージは4からが厳しいというのはテレビの知識で知っている。

手遅れじゃない。

先生の話は、不安にさせるが希望も与えてくれる。

 

たまたま、幸い希望がある状態だった、というだけかも知れないが。

 

治すためには、手術をするしかないんですね?

「そうです。」

「その手術について、実はお話があります。」

「当病院でこのまま手術をすることはもちろんできます。できますが、小腸がんの手術の経験は、ありません。言い方はアレですが、よくあるがんはたくさん手術しています。一応、大腸がんの手術経験で対応できるとは思うのですが、経験がないのは事実です。」

「そこで1つの提案として、がん手術が経験豊富、もちろん小腸がんの経験がある病院へ転院して、そこで手術するということも考えられます。どちらかを選択してもらうことになります。」

 

むぅ………………。

 

それぞれのメリットデメリットは?

「当病院でやれば、手術までの時間が短いですが経験が少ないです。がんの専門病院はその逆です。」

 

転院した場合、手術までどのくらい時間がかかりそうですか?

「転院する場合はすぐに先方に連絡を取ります。向こうのベッドの空き具合にもよるんですが、なるべく早く転院できるように交渉します。手術はさらにその先なので…うまくいけば2週間後ぐらいに手術できるかも知れないです。ただあくまで先方の都合によるので何とも言えないところではあります。」

 

そうですよね。

早く手術したいのは山々だ。転移が怖いのだから、普通に寝てても恐ろしい。時間が経つのが、恐ろしい。

 

でもね…………。

 

「今すぐ決める必要はないですよ。1日ぐらいじっくり考えてもらってからでいいです。」

 

いや……。

 

 僕の中ではもう結論は出ていた。

こんなもの、1日考えようが1分考えようが、同じだ。迷ってる場合じゃない。迷うところじゃないだろう。

 

だってそうだろう?

こっちは医療のことなんて何もわからない素人だ。先生はプロだ。

そのプロが、プライド捨てて転院を提案してくる。素人が何も逆らうことはない。

 

プライドを捨てる。

頭がいい人ほど難しい。だから、信用できた。

それは、この病院に入院してからの先生の誠実な対応への信頼があってこそだったけど。

 

家族には悪いが、その場で決めた。

 

 

転院します。

 

「…わかりました。今すぐ先方へ電話します。」

 

 

 

-15- 告知。

「急で大変申し訳ないが、今日、家族の方病院に来れますか?だめなら明日でもいいですが…。」

 

特急の生検から約1週間が経った日の朝、先生から聞かれた。

土日を挟んで1週間なので、本当に急いでくれたようだ。

 

まあ…そう聞かれた時点である程度は覚悟していた。

 

覚悟はしていたが、

もしかしたら違うかもしれない

それは頭の中に常にあった。

 

 いいパターンと悪いパターンの、それぞれのこれからを頭が勝手にシミュレーションする。いいパターンだと、この後薬で炎症治して2週間ぐらいで退院かぁ。

 

悪いパターンだと……どうなるんだろう?

 

 

この間の小さな談話室。

先生は2人で、僕、奥さん、2ヶ月の長男、両親の合わせて7人がすし詰めながら静かに座った。

 

あ。長男は寝ていた。

 

「まず、今現在の症状を改めて説明します。」

 

小腸から大腸に繋がる部分、いわゆる回盲弁の周辺に炎症が集中している。大腸の入口にあたる部分と、小腸の出口にあたる部分に、それぞれに炎症、腫瘍が存在する。これらの腫瘍や炎症が腸を詰まらせて腸閉塞を起こしている。

これまでこれらの病原は、可能性が高い順に

クローン病

ベーチェット病

結核

サイトメガロ感染症

カンピロバクター

がん

を候補として検査してきた。

 

クローン病である可能性が一番高いと予測していましたが、そうではないことがわかりました。」

 

「がんです。」

 

 

…………。

 

「生検でがんの可能性を示す指標は、Group1〜5で示されます。1〜3は良性です。4と5は悪性、つまりがんです。」

「前回の結果で小腸にある腫瘍から4が出たため、再検査を行ったところ。」

 

「5であるという結果が出ました。小腸の腺がん、小腸がんです。」

 

 

………………。

 

人とはおもしろいもので。

説明を聞いていた4人が皆そうだったのだが。症状の説明を聞くとき、うんうん、と頷きながら聞いていたわけだが、がんであることを告げられたときも、うんうん、と頷いていた。

当然皆、予感はしていた。本人達に聞けば、その瞬間は意外と冷静だった、と答えるだろう。

でもその瞬間も、うんうん、と頷いていたのは冷静ではない。言葉が入ってきているようで、入ってきていないんだ。どこか、他人事のような。テレビで芸能人ががんを公表するニュースを聴いたときのような。

 

まあ、そんな感じは本当にその一瞬だけで、すぐに他人事ではないことに後から脳がついてくる。

 

 

先生の話は続いていく………。

 

 

-14- 満員。

「下剤も浣腸もいらないですね。」

 

ええ。どうせ何も出ませんからね。

「はっはっはっ。」

はっはっはっ。

 

そんなやり取りから始まった朝だった。

 

2度目の大腸カメラはとってもスムーズ。大腸を突破し、小腸へGO。生検の数は前回の3倍、斬って斬って斬りまくる。

心無し、先生の口数は少なかった。

 

大腸カメラまでは何事もなかった。

 

 

大腸カメラまでは……。

 

 

 

現在、僕の鼻の穴の状況といえば、右の穴が満員だった。ここに、胃カメラさんもいらっしゃるという。

 

どこに?

 

左の穴に。

 

そう、あれはイレウス管を捩じ込んだとき、左の穴は狭いことが判明済みである。

だがしかし他に選択肢はないのだ。鼻の穴は2つしかないのだから。

 

「じゃあ胃カメラ入れていきますね。」

 

痛たたたたたっ

 

やっぱり狭い痛い。

 

「ああ、左は狭いんでしたね。ちょっと入口に痛み止め塗りましょう。」

 

痛み止まらないんですけど。だって狭いのは入口から結構中に入ったところだから。

それでも入れるしかない。なーに、イレウス管を耐えた自分なら何とかなるさ。たぶん。

 

痛たたたたたたっ

 

鼻が満員御礼だ。もう入らない。両の穴からぶっとい管が出てる様は、さぞ壮観だろう。

 

さらに厳しいのは、喉だった。

痛みが最小限の絶妙なバランスで喉に引っ掛かっていたイレウス管は、胃カメラに押しのけられた。管2本が喉でウロウロしている。その違和感と痛みは、なかなかのものだ。

 

先生、早く、早く見てください。とにかく早く胃の中見てください。

 

 

 

 

生検は特急でやってもらうようにすると先生が言っていた。今度は1週間ぐらいで結果が出るって。

 

その言葉通り、1週間後……。

 

 

 

-13- 夜。

消灯時間は22時。

 

いつも通り食べ物の動画と写真を見終えたところで、眠くなってきた。

 

寝よう寝よう。明日は検査だ。

 

ふとんを掛けて、目を閉じる。

 

ふー…っ。

 

 

 

なんとなく、スマホを開ける。

 

なんとなく、検索サイトを開く。

 

「小腸がん」

 

 数万人に1人の希少がん。

発見が非常に難しいため、早期発見は少数。

見つかるときは大体かなり進行している。

早期発見でない場合の5年後生存率は20%。

 

 

やめやめ。

寝よう寝よう。

まだわかんないのにそんなの調べてもしょうがないじゃん。

 

5年後生存率が20%って、5人中4人が死んじゃうのか。5人中4人って……厳しくないか?

 

でもがんの予兆なんて何もなかったぞ。

血便なんか出てないし、体重はむしろ増えてたし。うん、大丈夫だ。

 

腸閉塞起こすぐらい大きくなってるのかな。絶対、早期じゃないよな。

 

そんなものすごいレアながんなんかに、自分が果たしてなるもんかね?宝くじなんか当たったことない自分が。300円しか当たったことないよ。

 

精密検査して濃い疑いが出て、やっぱり間違いでしたなんて覆るものかな。これだけ医療が発達してるのに?

 

もし万が一がんでも、手術で取り除けば治るって先生言ってたし。

 

転移してたらどうするんだろう。肺とか肝臓に転移してたら手術が難しいって聞いたことある。

 

最近、大腸がんで亡くなった俳優がいたよな…。腸閉塞で入院してがんだってわかったらしいな。

 

早期発見じゃないなら、よく聞く、ステージっていうのはいくつなんだろう。

 

便が出ないのにお腹がゴロゴロ鳴るのが小腸がんの病状の1つだって書いてあった。ずーっと、ゴロゴロ鳴ってるんだけど…。

 

うちはがんの家系だしな。

 

生存率20%…………。

 

人生が終わるのって、案外あっけないもんなのかな。

 

 

 

 

夜は更けていき、明け方前に、いつの間にか寝たみたいだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

-12- まだわからないけど。

「ちょっと驚く話になってしまうかもしれないけれど。」

 

先生が前置きした。

 

パソコンとモニターがある小さな談話室。

先生と鼻から管の人の、1対1だ。

 

「正直、私達も驚いています。私達は今でもクローン病の可能性が一番高いと思っています。」

 

はい。そういう話でした。

 

 

「生検の結果、がんの疑いが出ました。」

 

はい。

 

 

 

…え?

 

がんって、あのがん、だよね。

 

「生検でがんの可能性は5段階で示されます。白、薄いグレー、グレー、濃いグレー、黒、とイメージするとわかりやすいと思います。今回、濃いグレーの結果が出ました。」

 

「私達は今でもがんであるとは考えにくいと思っています。というのは、今回濃いグレーの出た生検を取った場所は小腸だからです。大腸で取ったものは白でした。」

「小腸は心臓の次にがんが出来にくい部位と言われています。小腸にがんができるケースは、消化器官にできるがん、胃がんとか大腸がんとか…の1%程です。とても稀ながんです。」

「私達は今でもクローン病による炎症である可能性が一番高いと思ってますが、検査の結果がそう出た以上、もう一度よく調べる必要があります。明日、採血ともう一度大腸カメラ、それと胃カメラをやります。大腸カメラでは前回よりももっとたくさん生検をする予定です。」

 

 

 

…そうですか。

 

正直、どのくらいの確率でがんなんでしょうか。

「もう一度徹底的に精密検査をしてみないと何とも言えません。」

 

もし仮にがんだった場合、治るもんなんでしょうか。

「がんを手術で完全に取り除ければ、根治する可能性は十分あります。」

 

でも、がんって転移してるかもしれないんですよね。

「そうです。」

 

もし、仮に転移してたら、どうなんでしょう。

「それは転移していた場所によります。」

 

「まだがんと決まったわけじゃないです。可能性が出てきた、という話です。」

 

 

 

正直なところ、言われたときは思いの外冷静だった。

確定というわけではない、ということにすがっていたからかも知れないけど、どこか他人事のような感じでもあった。

 

 

奥さんにラインする。

 

がんかも知れないって。まだわからないけど。

 

驚きと心配の返信。そして、確定ってわけじゃないんでしょ?という僕と同じすがり方をしていた。

 

再検査の結果を待つしかない。それまでは何を考えても仕方ない。

 

そう、何を考えても仕方ないんだから。

その日は冷静だった。

 

 

夜に手紙やメールを書いて、翌日読み直すととんでもなく恥ずかしいことを書いているという。

 

そう、夜は人を冷静にさせなかった。

 

 

 

-11- 別室。

病室ではテレビを見れたけど、食べ物が映った瞬間チャンネルを変えるので忙しかった。夕方のニュース番組は半分はグルメ番組なので、前半しか見なかった。

 

絶飲食は2週間を過ぎた頃がピークで、とにかく食べ物飲み物を見るのが嫌だった。匂いも音も嫌だった。

 

食事の時間になるとお隣からいい匂いと音が漂ってくる。

地獄だ。

 

この世の全てが絶飲食になーれ。

 

そう不貞腐れていた。

 

ところが人間とは不思議なもので、絶飲食も3週間を越えると今度はとにかく料理の映像や写真が見たくて仕方ない。

 

写真でいい。食事をさせてくれ。

 

貪るように食べログを検索しまくる。いくつの町のお店を制覇したことだろう。 

youtubeで大食いや料理の動画を検索しまくる。色んな料理の作り方がわかった。漬物の作り方でさえ食い入るように観た。

 

 

そんなアブない荒んだ心を癒してくれたのは、当時2ヶ月ちょいの長男だった。

 

乳児は病室まで来れないので、待合室のところまで行って抱っこする。

可愛すぎる。

日に日に大きくなるこの子を抱っこしている間は、色々忘れられた。はぁ、さっさと腸閉塞なんか治して、家に帰ってオムツを替えてあげたい。

 

 

先生が回診の時に言っていた。

「腸閉塞の原因は小腸に炎症があること。炎症の原因で今のところ可能性が高いのは、ベーチェット病クローン病を一番疑っています。数年前の薬で散らした盲腸ももしかしたら影響があるのかも知れない。がんなんかも一応あり得ますが可能性は限りなく低いでしょう。」

 

ベーチェット病クローン病…。

 

何でしょうそれは?

 

ネットで調べると、難病指定されている。原因はまだよくわかっていなくて、10〜20代の若年層が多く発症するらしい。大腸や小腸の消化器官に炎症ができて腸閉塞を起こしたり、目に異常をきたしたりするが、これといった治療法はないという。

言われてみて思い出した。学生から新卒の頃、結節性紅斑になったことが2度あった。両足全体がねんざしたみたいに腫れ上がって痛い。足の裏もそうなるから歩けなかった。結節性紅斑もクローン病の症状の1つだって。それを先生に言ったら、なるほどね、と言っていた。

 

寛解期であれば普通に生活も仕事もできるけど、完全に治すのはとても難しい、と。

 

うーーーん……

 

喫煙も暴飲暴食もしてないんだけどなぁ…。

 

まあ、直ちに死んじゃうような病気じゃないみたいだし、高校生の時にやったギックリ腰以来ずっと抱えてる腰痛はもう一生もんだと諦めていたし。もう1つ抱えるモノが増えるってことで。嫌だけど、まあ今後じっくり考えて慣れていこう。

 

そんなことがわかってから、ますます長男を抱っこする時間は、色々忘れさせてくれるかけがえないものになった。

 

 

 

 

 数日経ったある日。

 

少し早めに、この間羞恥心を置いてきた大腸カメラでの生検の結果が出た。

 

先生がいつも通りベッドに来たけど、ちょっと別室に行きましょうと言った。いつもならその場で話すのに…。

 

 

-10- 穴だらけ。

GWが明けるとすぐ、ウチの社長がお見舞いに来てくれた。

相変わらずフットワークが軽い。こんな鼻から管出てて喋れない社員ですいません。ありがとうございます、と、かすれ声でお礼。

 

お見舞いといえば、奥さんとウチの両親は毎日のように来てくれた。両親も来てくれたのは、2ヶ月の長男を連れてくるのにどうしても車が必要で、親が車を出してくれていたからだ。

 

5年前の盲腸で入院したときは、まだ結婚していなくて同棲中だった。その時も奥さん(当時彼女)は毎日来てくれたもんだ。

 

 

ありがとう。

 

 

あ、両親も、ありがとうございます。感謝してます。

 

 

 

「今、腕から入れてる栄養剤の点滴だと、ポカリスエットぐらいのカロリーしか取れないんです。かなり絶飲食が長引きそうだから、それだと栄養が足りないのでピックを入れましょう」

 

ピックとは、二の腕や鎖骨あたりから入れる中心静脈カテーテルというもので、太い血管から心臓の近くに直接濃い栄養を送れるスグレモノらしい。

カテーテルギリシャ語で、「送り込まれるもの」という意味なんだって。なるほどね、よし、送り込みましょう。

 

で、どうやって?

 

「二の腕に局部麻酔を打って針刺して、管を血管にトントントンと心臓近くまで入れていきます」

 

聞いてるだけで気分悪くなってきた。

 

処置室に行くと、ちょっと見習いの先生が3人。二の腕の裏を出して、エコーで血管の様子を確認する。

 

「さすが若いから血管が太いですねー。これはやり易いですね」

 

若い?いやーそれほどでもー。

 

「病院はみんな80歳とかのおじいちゃんおばあちゃんばっかりだから、若いですよー」

 

比較対象が…。

 

局部麻酔を打って針を刺す。お、さすが麻酔効いてる。痛くない。

 

「じゃ血管の中に管入れていきますね」

 

あれ?痛い?

痛っ!痛いっす。

 

どうも途中のところで血管が急に細くなっているらしい。

 

「うーん、左から入れてみましょうか」

 

今度は左の血管をエコーで調べる。

 

こっちも太くていい血管だって。

 

ふふ、いい血管♪

 

麻酔打つ→針刺す。

「うーん、麻酔打つと血管が細くなっちゃいますね。麻酔なしで刺してみていいですか?」

 

え。

ええ、まあ、はい、いいですよ。

 

麻酔なし→針刺す。

うん、それなりに痛い。

やっぱり途中で細いらしく管が入っていかない。

麻酔なし→針刺す。

以下同文。

 

「やっぱり右から入れましょう。ちょっと、先生呼んできて」

 

右で麻酔なし→針刺す。

以下同文。

 

主治医の先生が来た。

「うーん、確かに見た目と反してやりにくいね」

しばらくエコーで調べて、

麻酔打つ→針刺す→管をトントントン。

 

入った。

 

さすがや。

てゆうか、何回刺されたかな。

ほんと、痛みに強くなったもんだ。

 

 確かに、今までより腕が動かしやすい。栄養剤も1日1500kカロリーは入るって。ご飯食べてるのと同じだって。

 

いや、同じじゃない。

食べたいよう。いや、そんな贅沢言いません。

飲みたいよう。味噌汁ひと舐め、水ひと口でいいから……。

 

 

 

 

 

 

-9- 先立つものは。

GWのちょうど谷間の平日に入院した。

たまたまそのまま5連休に入るのでよかったけど、GWが終わったらどうしよう?産婦人科の病院が遠かったので付き添いを繰り返していたから、有休があんまりない。欠勤にしたら、お金がヤバいしな。

 

まあ、薬で治るなら2週間ぐらいで退院できるって先生言ってたし、盲腸の時もそんなものだった。

 

仕事とお金のこと、やらないとなぁ…。

 

 

まず会社に連絡した。話せないのでメールで。

一応管理職の端くれみたいなものだったので、引き継ぎはちゃんとしておかないと。

幸いなことにウチの部署の他の管理職の人達は、デキる人かつイイ人しかいなかった。迅速に引き継ぎのやり取りをやってくれた。

これを機会にゆっくり静養してね、と皆返信してくれた。

 

そんなに疲れてるように見えてたかな。

 

 

 

保険に1つだけ入っていた。医療保険がメインの月3000円のやつ。何も入ってないのはさすがにマズイよな、と取り敢えず入ったやつだ。

 

入っといてよかった…。

 

入ってなかったらアウトだった。

そのくらいはっきり言ってお金がなかった。結婚式・出産と、何かとお金を使ったので貯金なぞ無いも同然だったから。

子供生まれたし、今度は生命保険もちゃんとしないとな……と新米パパは考える。

 

うん、今回は真面目なことしか書いていない。

 

色々考えたけど、ここで残りの有休全部使ってしまうのも何だかアレなので、欠勤にして傷病手当をもらうことにした。3日間休めば、4日目から標準報酬月額の3分の2が出る。なかなかいいじゃん。

 

お役所もなかなかやるじゃないか。

 

まあ、そのために毎月高い社会保険払ってるわけだし。あと、手続きがめんどくさい。聞いたら、出るまで2、3ヶ月かかるって言われた。そんなのとっくに退院してるじゃん。一番お金が必要な入院中から退院直後をスルーするとは。

それと、普段の給料から目減りしてる傷病手当からも、普段の給料の時と同じ額の社会保険と住民税天引きするのってどうなの?鬼なの?ほとんど残らないんですけど。

 

まったくお役所というやつは。

 

 

 なんだかなぁ、と思いながらも鼻と喉は痛い。

 

早く検査の結果が出ないかなぁ。生検は結果が出るのに2週間かかるって。

その間、腕から水分を入れては鼻から水分を出す、シンプルで滑稽な体で待つとしますか。