-13- 夜。
消灯時間は22時。
いつも通り食べ物の動画と写真を見終えたところで、眠くなってきた。
寝よう寝よう。明日は検査だ。
ふとんを掛けて、目を閉じる。
ふー…っ。
なんとなく、スマホを開ける。
なんとなく、検索サイトを開く。
「小腸がん」
数万人に1人の希少がん。
発見が非常に難しいため、早期発見は少数。
見つかるときは大体かなり進行している。
早期発見でない場合の5年後生存率は20%。
やめやめ。
寝よう寝よう。
まだわかんないのにそんなの調べてもしょうがないじゃん。
5年後生存率が20%って、5人中4人が死んじゃうのか。5人中4人って……厳しくないか?
でもがんの予兆なんて何もなかったぞ。
血便なんか出てないし、体重はむしろ増えてたし。うん、大丈夫だ。
腸閉塞起こすぐらい大きくなってるのかな。絶対、早期じゃないよな。
そんなものすごいレアながんなんかに、自分が果たしてなるもんかね?宝くじなんか当たったことない自分が。300円しか当たったことないよ。
精密検査して濃い疑いが出て、やっぱり間違いでしたなんて覆るものかな。これだけ医療が発達してるのに?
もし万が一がんでも、手術で取り除けば治るって先生言ってたし。
転移してたらどうするんだろう。肺とか肝臓に転移してたら手術が難しいって聞いたことある。
最近、大腸がんで亡くなった俳優がいたよな…。腸閉塞で入院してがんだってわかったらしいな。
早期発見じゃないなら、よく聞く、ステージっていうのはいくつなんだろう。
便が出ないのにお腹がゴロゴロ鳴るのが小腸がんの病状の1つだって書いてあった。ずーっと、ゴロゴロ鳴ってるんだけど…。
うちはがんの家系だしな。
生存率20%…………。
人生が終わるのって、案外あっけないもんなのかな。
夜は更けていき、明け方前に、いつの間にか寝たみたいだ。
-12- まだわからないけど。
「ちょっと驚く話になってしまうかもしれないけれど。」
先生が前置きした。
パソコンとモニターがある小さな談話室。
先生と鼻から管の人の、1対1だ。
「正直、私達も驚いています。私達は今でもクローン病の可能性が一番高いと思っています。」
はい。そういう話でした。
「生検の結果、がんの疑いが出ました。」
はい。
…え?
がんって、あのがん、だよね。
「生検でがんの可能性は5段階で示されます。白、薄いグレー、グレー、濃いグレー、黒、とイメージするとわかりやすいと思います。今回、濃いグレーの結果が出ました。」
「私達は今でもがんであるとは考えにくいと思っています。というのは、今回濃いグレーの出た生検を取った場所は小腸だからです。大腸で取ったものは白でした。」
「小腸は心臓の次にがんが出来にくい部位と言われています。小腸にがんができるケースは、消化器官にできるがん、胃がんとか大腸がんとか…の1%程です。とても稀ながんです。」
「私達は今でもクローン病による炎症である可能性が一番高いと思ってますが、検査の結果がそう出た以上、もう一度よく調べる必要があります。明日、採血ともう一度大腸カメラ、それと胃カメラをやります。大腸カメラでは前回よりももっとたくさん生検をする予定です。」
…そうですか。
正直、どのくらいの確率でがんなんでしょうか。
「もう一度徹底的に精密検査をしてみないと何とも言えません。」
もし仮にがんだった場合、治るもんなんでしょうか。
「がんを手術で完全に取り除ければ、根治する可能性は十分あります。」
でも、がんって転移してるかもしれないんですよね。
「そうです。」
もし、仮に転移してたら、どうなんでしょう。
「それは転移していた場所によります。」
「まだがんと決まったわけじゃないです。可能性が出てきた、という話です。」
正直なところ、言われたときは思いの外冷静だった。
確定というわけではない、ということにすがっていたからかも知れないけど、どこか他人事のような感じでもあった。
奥さんにラインする。
がんかも知れないって。まだわからないけど。
驚きと心配の返信。そして、確定ってわけじゃないんでしょ?という僕と同じすがり方をしていた。
再検査の結果を待つしかない。それまでは何を考えても仕方ない。
そう、何を考えても仕方ないんだから。
その日は冷静だった。
夜に手紙やメールを書いて、翌日読み直すととんでもなく恥ずかしいことを書いているという。
そう、夜は人を冷静にさせなかった。
-11- 別室。
病室ではテレビを見れたけど、食べ物が映った瞬間チャンネルを変えるので忙しかった。夕方のニュース番組は半分はグルメ番組なので、前半しか見なかった。
絶飲食は2週間を過ぎた頃がピークで、とにかく食べ物飲み物を見るのが嫌だった。匂いも音も嫌だった。
食事の時間になるとお隣からいい匂いと音が漂ってくる。
地獄だ。
この世の全てが絶飲食になーれ。
そう不貞腐れていた。
ところが人間とは不思議なもので、絶飲食も3週間を越えると今度はとにかく料理の映像や写真が見たくて仕方ない。
写真でいい。食事をさせてくれ。
貪るように食べログを検索しまくる。いくつの町のお店を制覇したことだろう。
youtubeで大食いや料理の動画を検索しまくる。色んな料理の作り方がわかった。漬物の作り方でさえ食い入るように観た。
そんなアブない荒んだ心を癒してくれたのは、当時2ヶ月ちょいの長男だった。
乳児は病室まで来れないので、待合室のところまで行って抱っこする。
可愛すぎる。
日に日に大きくなるこの子を抱っこしている間は、色々忘れられた。はぁ、さっさと腸閉塞なんか治して、家に帰ってオムツを替えてあげたい。
先生が回診の時に言っていた。
「腸閉塞の原因は小腸に炎症があること。炎症の原因で今のところ可能性が高いのは、ベーチェット病やクローン病を一番疑っています。数年前の薬で散らした盲腸ももしかしたら影響があるのかも知れない。がんなんかも一応あり得ますが可能性は限りなく低いでしょう。」
何でしょうそれは?
ネットで調べると、難病指定されている。原因はまだよくわかっていなくて、10〜20代の若年層が多く発症するらしい。大腸や小腸の消化器官に炎症ができて腸閉塞を起こしたり、目に異常をきたしたりするが、これといった治療法はないという。
言われてみて思い出した。学生から新卒の頃、結節性紅斑になったことが2度あった。両足全体がねんざしたみたいに腫れ上がって痛い。足の裏もそうなるから歩けなかった。結節性紅斑もクローン病の症状の1つだって。それを先生に言ったら、なるほどね、と言っていた。
寛解期であれば普通に生活も仕事もできるけど、完全に治すのはとても難しい、と。
うーーーん……
喫煙も暴飲暴食もしてないんだけどなぁ…。
まあ、直ちに死んじゃうような病気じゃないみたいだし、高校生の時にやったギックリ腰以来ずっと抱えてる腰痛はもう一生もんだと諦めていたし。もう1つ抱えるモノが増えるってことで。嫌だけど、まあ今後じっくり考えて慣れていこう。
そんなことがわかってから、ますます長男を抱っこする時間は、色々忘れさせてくれるかけがえないものになった。
数日経ったある日。
少し早めに、この間羞恥心を置いてきた大腸カメラでの生検の結果が出た。
先生がいつも通りベッドに来たけど、ちょっと別室に行きましょうと言った。いつもならその場で話すのに…。
-10- 穴だらけ。
GWが明けるとすぐ、ウチの社長がお見舞いに来てくれた。
相変わらずフットワークが軽い。こんな鼻から管出てて喋れない社員ですいません。ありがとうございます、と、かすれ声でお礼。
お見舞いといえば、奥さんとウチの両親は毎日のように来てくれた。両親も来てくれたのは、2ヶ月の長男を連れてくるのにどうしても車が必要で、親が車を出してくれていたからだ。
5年前の盲腸で入院したときは、まだ結婚していなくて同棲中だった。その時も奥さん(当時彼女)は毎日来てくれたもんだ。
ありがとう。
あ、両親も、ありがとうございます。感謝してます。
「今、腕から入れてる栄養剤の点滴だと、ポカリスエットぐらいのカロリーしか取れないんです。かなり絶飲食が長引きそうだから、それだと栄養が足りないのでピックを入れましょう」
ピックとは、二の腕や鎖骨あたりから入れる中心静脈カテーテルというもので、太い血管から心臓の近くに直接濃い栄養を送れるスグレモノらしい。
カテーテルはギリシャ語で、「送り込まれるもの」という意味なんだって。なるほどね、よし、送り込みましょう。
で、どうやって?
「二の腕に局部麻酔を打って針刺して、管を血管にトントントンと心臓近くまで入れていきます」
聞いてるだけで気分悪くなってきた。
処置室に行くと、ちょっと見習いの先生が3人。二の腕の裏を出して、エコーで血管の様子を確認する。
「さすが若いから血管が太いですねー。これはやり易いですね」
若い?いやーそれほどでもー。
「病院はみんな80歳とかのおじいちゃんおばあちゃんばっかりだから、若いですよー」
比較対象が…。
局部麻酔を打って針を刺す。お、さすが麻酔効いてる。痛くない。
「じゃ血管の中に管入れていきますね」
あれ?痛い?
痛っ!痛いっす。
どうも途中のところで血管が急に細くなっているらしい。
「うーん、左から入れてみましょうか」
今度は左の血管をエコーで調べる。
こっちも太くていい血管だって。
ふふ、いい血管♪
麻酔打つ→針刺す。
「うーん、麻酔打つと血管が細くなっちゃいますね。麻酔なしで刺してみていいですか?」
え。
ええ、まあ、はい、いいですよ。
麻酔なし→針刺す。
うん、それなりに痛い。
やっぱり途中で細いらしく管が入っていかない。
麻酔なし→針刺す。
以下同文。
「やっぱり右から入れましょう。ちょっと、先生呼んできて」
右で麻酔なし→針刺す。
以下同文。
主治医の先生が来た。
「うーん、確かに見た目と反してやりにくいね」
しばらくエコーで調べて、
麻酔打つ→針刺す→管をトントントン。
入った。
さすがや。
てゆうか、何回刺されたかな。
ほんと、痛みに強くなったもんだ。
確かに、今までより腕が動かしやすい。栄養剤も1日1500kカロリーは入るって。ご飯食べてるのと同じだって。
いや、同じじゃない。
食べたいよう。いや、そんな贅沢言いません。
飲みたいよう。味噌汁ひと舐め、水ひと口でいいから……。
-9- 先立つものは。
GWのちょうど谷間の平日に入院した。
たまたまそのまま5連休に入るのでよかったけど、GWが終わったらどうしよう?産婦人科の病院が遠かったので付き添いを繰り返していたから、有休があんまりない。欠勤にしたら、お金がヤバいしな。
まあ、薬で治るなら2週間ぐらいで退院できるって先生言ってたし、盲腸の時もそんなものだった。
仕事とお金のこと、やらないとなぁ…。
まず会社に連絡した。話せないのでメールで。
一応管理職の端くれみたいなものだったので、引き継ぎはちゃんとしておかないと。
幸いなことにウチの部署の他の管理職の人達は、デキる人かつイイ人しかいなかった。迅速に引き継ぎのやり取りをやってくれた。
これを機会にゆっくり静養してね、と皆返信してくれた。
そんなに疲れてるように見えてたかな。
保険に1つだけ入っていた。医療保険がメインの月3000円のやつ。何も入ってないのはさすがにマズイよな、と取り敢えず入ったやつだ。
入っといてよかった…。
入ってなかったらアウトだった。
そのくらいはっきり言ってお金がなかった。結婚式・出産と、何かとお金を使ったので貯金なぞ無いも同然だったから。
子供生まれたし、今度は生命保険もちゃんとしないとな……と新米パパは考える。
うん、今回は真面目なことしか書いていない。
色々考えたけど、ここで残りの有休全部使ってしまうのも何だかアレなので、欠勤にして傷病手当をもらうことにした。3日間休めば、4日目から標準報酬月額の3分の2が出る。なかなかいいじゃん。
お役所もなかなかやるじゃないか。
まあ、そのために毎月高い社会保険払ってるわけだし。あと、手続きがめんどくさい。聞いたら、出るまで2、3ヶ月かかるって言われた。そんなのとっくに退院してるじゃん。一番お金が必要な入院中から退院直後をスルーするとは。
それと、普段の給料から目減りしてる傷病手当からも、普段の給料の時と同じ額の社会保険と住民税天引きするのってどうなの?鬼なの?ほとんど残らないんですけど。
まったくお役所というやつは。
なんだかなぁ、と思いながらも鼻と喉は痛い。
早く検査の結果が出ないかなぁ。生検は結果が出るのに2週間かかるって。
その間、腕から水分を入れては鼻から水分を出す、シンプルで滑稽な体で待つとしますか。
-8- 壊れかけの羞恥心。
栄養だけじゃなかったのか……。
点滴は液体なのだから気づいていいものだが、それだけイレウス管が痛くて冷静でなかった。ということにしておこう。
看護師さんが朝食を配り始めた。
絶飲食の自分にも間違って配られないか少し期待したがそんなことは全くなかった。
採血した後、今日は午前中に大腸カメラをやると言われた。
そうか……今、上から管が突き刺さってるのに、さらに下からも突き上げるのか。
もうどうにでもしてくれ。
人間ドックをしたことのない僕には、大腸カメラは当然初体験。
浣腸も初体験。
「はい、このまま3分から5分我慢して下さいね。」
看護師さんが優しく厳しいことを言う。
無理無理、1分ももたない。トイレにゆっくり駆け込む。でも1週間食べてないから何も出ない。
完全にやられ損じゃないか?
車椅子で内視鏡検査室へ。
狭めの部屋に、歯医者さんでかかっているようなBGMが流れている。患者さんをリラックスさせるためですね?ということはやっぱりこの部屋ではただならぬことが起こるということですね?
看護師さんは…やっぱり女性なのね。
羞恥心というものはどこかに置き忘れなければいけないことが、さっきの浣腸の時から薄々わかりかけていた。
「はい、仰向けのまま足を曲げて下さいね。ちょっと塗りますね。はい、じゃ入れていきまーす。」
おおぉぉ〜
変な感じ。
「はい、じゃそのまま体横に向けてくださーい。」
イレウス管のような有無を言わさぬ痛みはない……が、時折何とも切ない痛みがお腹を襲う。あれだ、トイレに駆け込みたい痛みだ。これはこれでなかなか厳しい。
ぷすーーーーーっ
ガスを出すと楽になる。
大丈夫だ。羞恥心はもう置いてきた。
「今、大腸の奥まで来ましたよ。この辺りから炎症があるね。これから小腸に入って行くけど、ここからいくつか生検していきますから。」
はい、もういくらでも切り取って下さい。
そんなこんなで大腸カメラは終わった。
うん、別に苦手じゃないな。やりたくはないけど。
後日、あと2回も挿入されることになるとは、この時は知る術もなかった。
-7- 真夜中の営み。
入院するのは人生で2回目。
1回目は5年ぐらい前、盲腸だった。
あの時は仕事はまだ前職。2ヶ月ぐらい休みがなかったので、ようやく病院に行ったら手遅れ一歩手前だったそうだ。盲腸はほっといたら死ぬ病気なんだよと、先生に本気で怒られたのはいい思い出。
4人部屋で窓際のベッド。きれいな部屋で快適そうだった。快適でないのは自分の鼻と喉だけだった。
「腸から水を出しながら、色々検査をやっていきます。恐らく腸の中で炎症を起こしていると思いますが、検査の結果を見て診断を出します。単なる炎症なら薬で治せますよ。手術するかはまだわからないですね。」
「早速明日、大腸カメラをやりますから。」
大腸カメラ?
胃カメラより恐ろしい響きなんですが、しょうがないですやります。
「絶飲食なので、飲んだり食べたりしないように。これから点滴を入れて、栄養は入れていきますから大丈夫ですよ。」
この時点で既に1週間は何も食べていなかった。唯一の救いは飲み物だったけど…しょうがない、暫くの辛抱だ。
心の中でしょうがない、もう何回目だ?
この時は、暫くというのは1、2週間だと勝手に思っていた。
それよりも……
管が常に触れる鼻と喉の違和感と痛みは、しょうがないとはまだ割り切れなかった。唾を飲み込む度に痛い。首を動かす度に痛い。
喉が痛いので、声が出しづらい。ほとんど話せなかった。
入院初日の夜は、痛くて全然眠れなかった。
一晩中、管と首がどの位置だと一番痛みが少ないか、いつこの管は外れるのかを悶々と考えていた。
真夜中、名案が浮かんだ。
水を腸から出すために入れているんだから、水が全部出れば外してくれるはず。よし、絞り出すぞ。
点滴スタンドの下にぶら下がっている袋には、管から出てきた腸液が溜まっていた。この袋一杯とお腹全体って、大体同じぐらいの量じゃないか?ということはこの袋を一杯にすればかなり勝利へ近づくはずだ。よし、朝までに一杯にして外してもらって、明日は快適に過ごそう。
管を揺すったり、お腹を揉んでみたり、立ってみたり座ってみたり。
よし、いい感じで出てるぞ。
早朝の検温で看護師さんがカーテン開けたときはベッドに座って作業の真っ最中。
「ワッ!ビックリしたっ、起きてると思わなかった」……って。
朝、先生が回診に来た。
見て下さい。こんなに水出ましたよ。かすれ声で訴える。
「ほんとだ、すごい出てますね。いい感じですよ。」
そうでしょうそうでしょう。
ところでこの管っていつ頃外れるんですかね?
かすれ声で期待を込めて遠回しに聞いてみる。
「点滴から水分がどんどん入ってますからね。今日明日で取れるもんじゃないですよ。たぶん退院のちょっと前になるよ。」
…………………………。
-6- イレウス。
【イレウス(腸閉塞)】ギリシャ語の「捩れる、巻き上げる」を語源とする。当時は体内の様子を見る術はないので、「患者が身を捩って悶え苦しむ」様子からきている。
「やっぱりなかなか水が出ないので、小腸まで管入れますね。」
はいはい、今入ってるのをもうちょい入れるんですね?やってやりますよ余裕っすよ。
あれ?小腸ってめちゃくちゃ長いんじゃなかったっけ。……まあ、なんとかなるでしょ。
「小腸まで入れるのは、ベッドじゃできないんですよ。別室に行きますね。」
おお、そうですか。行きましょう行きましょう。
車椅子で連れてこられたのは、天井から何やら大きな機械が垂れ下がっている広くて物々しい部屋。この冷んやりした空気、何も起きなければよいが。
白衣の先生が2人既にスタンバイ。胃に入れてくれた先生も合流してスタンバイ。
3人がかり?
「上からレントゲン映しながら入れていきますからねー。今入ってるのは抜きますねー。」
あ、抜くの?さっき苦労してせっかく……
ズルズルズルッ!
あがががががっ
抜く時は一瞬。
「じゃあこれから、イレウス管入れていきますねー。ちょっと色々寝ながら動いてもらったり痛いのが続くかもしれないですが、がんばっていきましょう。」
入れ直すんですね。まだ鼻ヒリヒリしてますけど。てっきり入ってるのをそのまま奥に……痛たたたっ!
「あ、左の穴は狭いみたいですね。右からにしましょう。」
左、狭いんだ。生まれて初めて知った。
あががががっ
いや、これはさっきと同じ感じ。何とか耐えられる。はず。
「はい、じゃあ体左向けてくださーい。」
「ちょっとお腹押しますね。」
「はい、下半身だけ右向けてくださーい。」
鼻に激痛が走ったまま、身を捩る。捩りまくる。
鼻に激痛が走ったまま、さらに管を鼻でグリグリされて悶え苦しむ。
数メートルある管を操るポイントは鼻の穴のみなのだから、当然そうなる。鼻の穴もさることながら、喉のダメージも凄い。
「そこのとこ入っていかないな。」
「もうちょっと強く押してみて。いや、揉んでみて。」
すごい。
この科学技術が発展したハイテク現代、すごいアナログ。
小腸は6メートルあるわけで。それが思い思いに曲がりくねっているわけで。それを突破するのは、もはや匠の技のみなわけで……。
もう自分がどんな声を出しているのかもわからない。というか声を出せていたのかもわからない。されるがままだった。
どのくらい時間が経ったのだろう。
10分なのか、1時間なのか、わからない。
「はい、お疲れ様です。奥の方までちゃんと入りましたよ。」
ちゃんと入った…?
何がでしたっけ?
ああ、何とかウス管でしたっけ。
よかった。終わった…。
終わってよかった…。
それは全ての始まりだった。
-5- 左から右へ。
詰まってたのか……。
はりきって摂ってた水分が溜まりに溜まって小腸から胃まで逆流。そりゃ吐くわ。
言われてみれば、その頃になると出すのは下からでなく専ら上からばかりになってた。
緑色なのは腸液の色だって。
自分の体の中にこんなピッコロさんの血みたいな液体があったなんて。それを口から吐いていた自分は完全にただのピッコロさん。
レントゲン1枚ですぐわかるならもっと早く撮っていれば……まあ、しょうがない。
「胃まで水が溜まってるので、管入れて吸い出す必要があります。胃まで管入れますね。」
それって胃カメラってやつと同じことですよね?生まれて初めての胃カメラだわ。誰もが嫌だ嫌だと言う胃カメラ、僕もなんとなく嫌だと思ってた。それが心の準備もできないタイミングで……あ、もう管の準備できてるのね。はいはい、やりますやります。
ふがっ、ぐげげげげっ。
おえー。
先生が手馴れた手つきで右の鼻の穴から管を胃まで突っ込んだ。
鼻から管が出てるって、ドラマでしか見たことなかった。いや、正確には見れていない、自分から出てるんだから。
目の前に管があり、目の前を早速緑色で中に正体不明のワタが混じった液体が左から右へスルスル流れていくのがバッチリ見える。見たくはない。でも見える。
鼻から喉の違和感半端ないわー。
まあ、腸液全部吸い出せば外せるだろう。暫し我慢我慢。
その見通しがびっくりするぐらい浅はかなものだったと気づくのはその翌日ぐらいだったが。
「とりあえず胃まで管入れたけど、効果が薄かったら腸まで管入れますから。」
そうなのかー。
まあ、胃カメラと同じ管を飲んだ自分だ。腸まで入れるって言っても同じことでしょ?いけるいける。
その見通しが戦慄するほど浅はかなものだったことに気づくのはその3時間後ぐらいだった。
-4- サイレン。
大通り沿いにあるウチのマンション、救急車のサイレンがいつもうるさくて仕方ない。
でも今夜のサイレンは僕を迎えに来てくれた正義の味方参上のテーマ。
救急車呼ぶ前に救急病院に自分でいくつか電話してみたけど、どこも受け入れはできない、明日朝外来に来て下さい、の繰り返しだった。
救急車の中。
救急隊員の人が病院に連絡する。1件目で受け入れOKとのこと。流石だわ。流石プロ。
そこからが、長かった。
病院に着いて、フラフラ歩いて待合室のイスに座る。救急隊員のお兄さんが受付してくれた。夜間外来で順番待ちするとのこと。
どのくらい…?
「うーん、たぶん2時間ぐらい?」
待合室は夜だというのに満席。ワイワイ賑やか。結構みんな、元気そうだけど…。
最初は普通に座っていたけど、自然とズルズル体がズレていく。
完全にヘンな人だ。
待合室から離れて、薄暗い廊下にあるベンチに移動。ここなら横になれる。合間にトイレでゲーゲー吐く。やっぱり緑色だなぁ。
……。
どのくらい時間経ったかな。
うん、3時間経ってる。
もう知らん。本格的に寝てやる。
その時、聞き覚えのあるおばちゃんの声。
ウチの両親だった。
生後2ヶ月の長男を連れては病院に来ない方がいいと言われた奥さんから連絡受けて、高速飛ばして1時間かけて来てくれたらしいが、ベンチに転がってた息子を見て軽くショックだったと後で聞いた。
それからまた暫くして、看護師さんに名前を呼ばれた。
軽く問診を受けて、応急処置室のベッドに寝かせてくれた。栄養失調になってるからと言われ点滴された。今思えば、記念すべき1発目の注射。
そのまま明け方まで寝ていた。
栄養剤点滴してもらって、何だか体が楽になったような気がする。まともに喋れるようになった。
これ、何の病気ですかね?
「胃腸炎だね。」
あぁ〜、やっぱりそうなんですね。
「入院してもいいけど、週末ってベッドに空きがなくてね。まあ、今日はとりあえず外来の予約取って一旦帰ってまた来てよ。家族にうつるから隔離してね。水分はよく摂るように。」
親の車で帰宅。
多少元気になったけど、うー、吐き気は変わらず。
あ、緑色のこと言ったっけ……。
その翌日の朝、外来へ。
「レントゲン撮りましょう。夜間救急では撮れなかったみたいだから。」
板に向かって息吸って止めてハイチーズ、パシャ。
今思えば、記念すべき1枚目。
処置室のベッドで待っていた。
水分補給を忘れずに水を飲む。
「すぐこのまま入院して下さい。腸閉塞です。水分は厳禁なので絶対に飲まないように。」
え?
すぐ入院?
いや、それよりも、水厳禁?
マジか。
-3- 元からパンパン?
次の日は土曜日で休み。
この間病院行ったけど、吐くようになっちゃったからなぁ。下痢も止まらないし、お腹が張ってきた。出して飲んでプラマイゼロのはずなのに、なぜにお腹が張ってくる?もう4日ぐらいほとんど何も食べてないぞ。
フラフラしながらもう一度この間の病院へ。
…ゲッ!土曜日休み?!
というか、この辺土曜日どこもやってない。
カーテンの閉まった病院の入口前でガックリ座り込んでスマホを調べる。道を歩く人から憐れみの視線を受けてるような気がする…。
隣駅の駅前クリニックが土曜日もやってるぞ。ヘロヘロしながら電車に乗った。
…診断は。
「胃腸炎ですね。」
あぁ〜、やっぱりそうですか。そうですよね。
うーん。
「でも長引いてるようだから、平日になったら一度大きい病院で診てもらったほうがいいね。水分はしっかり摂るようにね。」
平日かぁ。
休めるかなぁ。
翌日日曜の夜。
もうだめだ。
吐いても出しても気持ち悪いのが治まらない。お腹はもうパンパンだ。元から結構パンパンだったって?それは言わない約束。
新米パパは人生初の救急車を呼んだのだった。
-2- バケツをひっくり返したような。
仕事していてもお腹痛い。
うーん、何かヘンなもの食べたかな。
まあいいや、そのうち治るでしょ。
その日は午後から休みを取って、長男の予防接種へ。ロタウイルスだけ有料。スプーン数杯で1回1万5000円。これも補助してもらいたいなぁ。
その帰り、ショッピングモールに寄ってオムツとミルクを調達。その最中…。
便意が追いつかないぐらいのペースでトイレに駆け込む。水のようなのがひっきり無しに、自分の意思とは関係なく。だんだん意識が遠くなったきた。体中の水分、下半身に全員集合。
これ、ヤバいやつだ。
帰りに近所のお医者に寄ったけど、どこももう終わってた。しょうがない、明日午前休取って出直そう。
念のためその夜から奥さんと長男とは部屋は別。トイレも、出たら除菌スプレーで徹底的にシュッシュッ。
パパ、完全隔離された。寂しいよう。
翌日、改めて近所のお医者へ。
地元ではとても丁寧で評判のよい先生。ここ数日で突然こうなったこと、トイレに駆け込むペースが半端でないこと、5年ぐらい前に盲腸を薬で散らしたことを伝えた。
そうすると、いつもの少々オーバーな位の丁寧な口調で、
「胃腸炎ですね。」
あぁ〜、そうですよね。僕もそう思います。これが噂の胃腸炎、きついわぁ。
脱水症状になりかかっているから、よく水分を摂るように言われ、整腸剤をもらって帰宅。今日は安静にしているように言われたので午後も会社は休んだ。繁忙期じゃなくてよかったよ。
次の日は出勤した。
繁忙期でないとはいえ、急ぎの仕事が詰まっててんてこ舞いだったから。0時少し前に会社を出る。その次の日も同じ時間。
外出中、出されたコーヒーを飲んだら頭がぐるんぐるんに回って訳がわからなくなった。会社に戻ってから、初めてトイレで吐いた。
これ、ヤバいやつだ。
ごめんなさい、ちょっと応接で休ませて。吐いて休んだらちょっと楽になるから。
2回目に吐いた時に気付いた。
あれ?これ、便器が緑色なんだけど……?
-1- お腹痛い…?
2017年は年初からバタバタだった。
ウチの会社は12月から3月が繁忙期、空気読まずに正月明けからインフルエンザでダウン。予防注射って感染しないわけじゃないのね…。
ようやく復帰して溜まってた仕事に超追われる最中、2月に待望の第1子長男誕生!
なんてこった…こんなかわいい生き物がこの世にいるなんて。
この子のためならなんでもできる。よーし、パパがんばっちゃうぞ。
31時間かかったお産、奥さん完全にグロッキー。でも旦那も31時間付き添って仲良くグロッキー。ごめんね、無痛分娩にしてあげられなくて…。
噂には聞いてたけど、ホントに2時間毎にパッチリ起きてミルクの催促するかわいい長男。
繁忙期だから0時に帰宅、1時に夕飯、2時に寝る、4時にミルク、6時に起きて出勤…を繰り返す日々。
いやー、地獄だわ。
いや、地獄じゃない。
だってこんなにかわいいんだもん。
ヘロヘロで夜がふけて、地獄の原因の張本人に癒されて、今日もまた夜が明ける。そんな無限ループ。
繁忙期も終わり、授乳も落ち着き始めた4月下旬のことだった。
あれ、お腹こわしたかな…?お腹痛いぞ。