そして新米パパは小腸がんになった。

働き盛りの30代、長男生まれて2ヶ月後、新米パパは小腸がんになった。がん患者の日常と心情を徒然なるままに綴るブログ。

-46- 大怪獣。

まずは抗がん剤を打った後の過ごし方についての説明を改めて受ける。

 

吐き気や下痢や皮膚の異常が出たときに対処する薬がそれぞれあるが、完璧に抑えられるものではない。神経障害の痺れはそもそも抑えられないし。やはり基本的に「耐える」ことが必要。なるべく安静に、とは言われても…仕事はしないと。どうしてもヤバいと思ったらいつでも病院に連絡を、と。

 

 

リクライニングの椅子か、ベッドを選べる。

混んでたので強制的にベッドへ。

 

ベッド、小さくて足が伸ばせない…。

 

さてはデカい若いヤツが来ること想定してないな。

 

まあいいや。

 

 

「ちょっとチクッとしますねー」

採血のより長い針を血管の奥にプスッとね。

 

まずはアバスチンから。

アバスチンは副作用の少ない抗がん剤。時間も短いし、いけるいける。本当はいきたくないけど。

 

問題はオキサリプラチン。

同じ語尾チンでもコイツはじゃじゃ馬。

看護師さんが電機アンカを腕の下に敷き、上からタオルを掛ける。オキサリプラチンはほぼ確実に痺れが出る。暖めると痺れが緩和するらしい。

そして2時間の長丁場。

処置室は無料wifiもあるし充電も可。寝ててもいいし本読んでてもいいし軽食食べてもいい。

 

快適じゃないか。

 

とは、いかなかった。

 

 

オキサリプラチン点滴開始から10分後ぐらい。

 

あー…。なんか、痺れてきたなぁ。確かに暖めてるのが効いてる感じ。

 

おお、なんかすごい痺れてきた。

 

あれ?これもしかして痛いぐらい痺れてる?

腕全体が、そこにないような感覚。

 

これ、全然快適じゃないや。甘かった。

 

 

まあ、痺れてるだけで実際ケガとかしてるわけじゃないし。

我慢しましょう。生きたいなら。

 

 

2時間後。点滴終了。

 

やべ。腕超痛い。

体の中でオキサリプラチン大暴れ。そういえば名前も怪獣っぽい。大怪獣オキサリプラチン。がん細胞ごと正常な細胞も踏み潰すダークヒーロー。

 

針抜いて、お疲れ様でした〜。

 

 

問題の、お会計。

 

 

8万円。

 

ああ、やっぱり本当に8万円なのね。

この後薬局で、もう2万円。

 

 

 

腕も痛いが、お財布はもっと痛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-45- いよいよ。

点滴は2種類。

アバスチンは15分、オキサリプラチンは2時間、投与するのに時間がかかる。

先生の診察を終えてから点滴するのだが、薬剤を調合するのに1〜2時間かかる。

診察の前に採血するので、診察の30分〜1時間前には病院に着いていたい。

診察は大体押しまくるので、30分〜1時間は待合室で待つ。

飲み薬のゼローダをもらうため薬局で20分は待つ。

 

まあ、要は1日がかりだということ。

 

 

久しぶりの採血。

 

「ちょっとチクッとしますねー」

 

 

 

採血で文句なく痛かったのは、手術前にやった動脈からの採血注射だったなぁ。

 

「いつもの静脈じゃないので、ちょーーっと痛いですよ」

 

先生が陽気に脅す。

 

いつもの腕からでなく、手首に注射。

あれだ、リストカットする場所だ。

 

プスッ。

 

ッギクッーーー!

 

手首から先が取れたかと思う衝撃。

 

静脈と違って、動脈周りは神経が集中しているのでアレなんだとか。

 

動脈採血だけは2度とやりたくないなぁ。

 

あと、イレウス管ね。

 

 

 

診察室。

 

「じゃあ、いよいよ今日からやっていきましょう」

 

はい。やらないと死んじゃうならやるしかない。

 

点滴を打つ場所に移動。

 

「1時間後ぐらいにお呼びできると思うので、それまで外出とかしてていいですよ」

 

実は病院のある街は有名なグルメスポット。

入院中は外出できなかったから、ちょっとワクワクしながら何食べようかウロウロ。

 

この時間じゃ、ほとんど閉まってるじゃん…。

 

結局牛丼屋へ。

 

 

この食欲が、数時間後どうなっているのやら。

 

 

 

 

 

 

 

-44- 時代劇でよくある。

【高額療養費制度】

同じ月に同じ医療機関で支払った医療費の自己負担額が一定額を超えた場合、その分が払い戻される制度。例えばサラリーマンの場合、かかった医療費の3割が自己負担だが、この制度により負担の上限が設けられる。自己負担の限度額は、一般所得者は、8万100円+総医療費が26万7000円を超えた部分の1%。

 

 

 

時代劇でよくある風景。

薬が高くておっ母の病気を治せない。

 

現代の日本ではあり得ない風景、と思っていた。

 

3週間に1度、点滴でアバスチンとオキサリプラチンを投薬。2週間朝夕1日2回、飲み薬でゼローダを投薬。

 

これを1回として、1回あたりのお値段。

 

31万円。

 

 

ふんふん、と説明を聞いていたが、内心目玉が飛び出るほどビックリしていた。

 

 

安心して下さい。健康保険が効きますから。

 

そうでしょうそうでしょう。

 

15万円。

 

 

ほうほう、半額になるんですね。これはお得だぁ。

…ってまだ高すぎるわっ。

 

 

大丈夫です。高額療養費制度が使えますから。

 

本当に大丈夫なんでしょうか。

 

8万円。

 

う、うーーーん。

 

だいぶ安くはなったけど、まだ高い…。

 

 

もう一声っ。

 

…もう一声はなかった。

 

 

と、思ったら後から病院の相談センターで聞いた。

高額療養費は限度額の8万円が3ヶ月続くと、翌月から4万円になるという。ただし、1医療機関につき4万円。点滴は病院、飲み薬は薬局でもらう。病院で限度額の4万円、薬局で2万円払うのだが、結局1回の投薬で6万円かかる。もしタイミングで月2回投薬するとお得になる。

 

 

医療保険には入っていたけど、入院と手術だけ。通院やがん特約はつけていなかった。

 

これから一生続ける抗がん剤治療は、全て自費でやるしかない。

これ、月6万円いきなり負担が増えたら、人によって生活崩壊するでしょ。ウチだって月6万円は致命的な金額。まして、今まで通りに働ける保証は何もない。

 

がん特約つけてなかったからいけないんだと言われればそれまでだけど、たまたまつけてなかっただけでこうなるのって、何とかならないのだろうか。

日本人の2人に1人ががんになるんでしょ?

抗がん剤の価格自体を下げようという動きにはならないの?

お金がなくて治療できなくて死ぬ人もいるのでは?生活保護受ければいいと言う人もいるけど、確かに高齢者ならいい。30代で生活保護になって、その後どんな人生を送ればいい?

抗がん剤治療について話題になるのは、標準治療ではないさらに高額な先進医療を受ける人についてだけ。

そもそも標準治療すら受けるお金がない人についてのニュースは、皆無。

 

なぜだろう?

 

 

 

一通りの説明を受けて、僕らは診察室を後にした。

1週間後、初めての投薬をすることになった。

 

 

-43- 仕方ない。

【副作用】

病気を治したり症状を軽くしたりする、薬本来の目的の働きのことを「主作用」と言う。薬本来の目的以外の好ましくない働きのことを「副作用」と言う。

 

 

 

抗がん剤といえば、副作用。

がんを患っていない人でも、皆知っている。僕も知っていた。

 

なぜ抗がん剤は副作用がそんなに有名な程激しいのか。

がん細胞を殺そうとする余り、うっかり正常な細胞も一緒に殺しちゃうじゃじゃ馬だから。

 

敵ごと街に核爆弾落とす、ハリウッドのSFでよくあるヤツ。

 

その展開って、まず間違いなく肝心の敵は倒せてないことはここでは黙っていることにしよう。

 

 

ゼロックス療法の副作用を先生が説明する。

紙に既にまとめてあるもので詳しく説明を受ける。

 

「吐気、嘔吐、食欲不振」

うん、これはもう確実に出る。覚悟しなきゃダメっぽいね。

 

「下痢」

仕事に支障が出そう。お客さん対応中に耐えられるだろうか。

 

「神経障害」

何それ名前がコワイ。冷たいモノを触ったり飲んだりすると痺れるって。もうアイスとか食べられないのか…………。

 

「脱毛」

これは精神的にキツイな。20%の人がなるらしい。もしなったら先回りしてカッコいい坊主にするしかない。

 

「手足の痺れ、変色など」

北斗晶のブログで写真見たことがある。黒くなって皮が剥けてきちゃうやつ。痺れも酷くなるとペンが持てなくなったりキーボードが打てなくなる。仕事に支障が…。

 

口内炎

地味にイヤだな。

 

 「死亡」

えっ。

ごく稀で1%以下だという。

あれ?

でも、小腸がんって1%じゃなかったっけ?

あれ?

 

 

 

まあ、どんなに副作用の説明を受けようと、この先実際どんな副作用が出ようと、

「生きるためなら仕方ないんだなぁ。」

をスローガンにやっていくしかない。

 

一生。

 

 

 

 

息子はまた目を閉じて、難しい顔をして寝ていた。

 

 

 

-42- 舌噛みそう。

「小腸がんには、専用の抗がん剤がありません。胃がんか大腸がんの薬で代用することが一般的です。データは少ないですが、比較的大腸がん用の方が小腸がんには効きやすいという結果が出てます。回腸のがんなので大腸に近いというのもあるし。」

 

先生が紙とペンを出す。

 

抗がん剤の名前をたくさん列挙する。

その横に大腸がんと書き、さらに横に小腸がんと書く。

◎…よく効く

◯…まあまあ効く

△…あまり効かない

×…ほぼ効かない

2つのがんの下に、薬の種類毎に書いていく。

 

 

なんとまぁ。

 

小腸がんの◎の少ないこと。

 

抗がん剤は組み合わせで治療していくので、必ずしも単独での効き目ががんへの効果をそのまま表しているわけではないですが。」

 

先生は一つ一つの薬の内容を説明し、今回使う薬の組み合せを言った。

抗がん剤治療ではとても一般的な、いわゆるゼロックス療法というものを使おうと思っています。」

 

カペシタビン…商品名ゼローダ

オキサリプラチン…商品名エルプラット

ベバシズマブ…商品名アバスチン

 

 

なんだろう、世界史の名前みたいだ。

マルクス・アウレリウス・アントニヌス

みたいな。

 

アバスチン・カペシタビン・オキサリプラチン

みたいな。

 

ベバシズマブ、ってすっごい言いにくい。

 

 

 

 息子は目を開けてキョロキョロしていた。

 

 

 

 

-41- 二度目の…。

本当によく寝る子だ。

 

学生時代、友達の下宿の玄関で平気で寝ていた自分の血を受け継いでいるだけのことはある。待合室にいる間も基本的にスヤスヤ寝てくれていた。

前回先生に、今度の説明は奥さんもいた方がいいと言われたので、もれなく6ヶ月の息子もついてきた。

 

 

「◯◯さん、16番にお入り下さい。」

 

呼ばれた。

 

「結果が出ました。」

CTの画像を動かしながら、先生が続ける。

 

「お腹の周り、腹膜に拡がったがんが、既に3ミリ程の大きさになっています。」

「数が多いため、これらは手術では取り切れません。抗がん剤で治療していきます。」

「これが非常に重要なお話なのですが、抗がん剤治療を行ったとしても、このがんが消えることは恐らくありません。これ以上大きくならないようにする、小さく抑えていくための治療になります。」

抗がん剤治療の期間は、無期限ということになります。」

 

 

さすがにショックだった。

 

 

無期限。

 

それは一生ということですか?

 

「恐らくそういうことになります。」

「場合によって、もし画期的な治療法が開発されたりすれば話は別ですが。少なくとも今の技術では…。」

 

抗がん剤治療→がんが消える→再発しないことを祈る

という道ではなく、そもそもがんが消えることがない。再発とかそういう問題ではない。

 

 あの、でも、直ちに命がどうこうってわけでは………

 

「もちろんありません。きちんと薬が効いてがんを抑えていければ大丈夫です。」

 

どう付き合っていくか、ということですね。

 

「そういうことです。」

 

 

 

息子は少しぐずったが、また目を閉じていた。

 

 

 

 

 

 

-40- 目に見えない。

こんなにデカいのか…。

 

転院したときは車でぐったりしながら来たし、入院中は1度も外出しなかったし、退院のときも車でさっさと出たから、外から病院を見たことがなかった。

 

1ヶ月振りの病院。

今日は術後精密検査の結果を聞く。これからどうするのかを聞く。奥さんも来たがっていたけど、あんまり赤ん坊連れてきたくないから、お留守番しといてもらった。

 

外来の待合室も初めてだ。

この大勢の人達みんな、がんなのか。

 

60代ぐらいの夫婦が診察室に入っていった。

10分程で出てきた。

「よかったねぇ。ほんとによかった。」

奥さんが旦那さんの背中を擦りながら言う。

いい結果が出たんだろう。

自分もそうありたいもんだ。

 

 

「◯◯さん、8番にお入り下さい。」

 

呼ばれた。

 

入ると、執刀してくれた外科の先生が座っていた。

 

「どうですか?傷の方は大丈夫ですか?」

お陰さまでだいぶ楽になりました。

「うん。キレイな傷だ。大丈夫ですね。」

「…例の、手術のときに腸からちょっと離れた場所にあったモノを切り取ったっていう話はしてるよね。それが何なのか調べました。」

「やっぱり、がんだったよ。」

「がんが広がっている最中だったのか、食い止められたところなのか調べるって話したと思うけど、広がっている最中だったという結論になった。」

「小腸が原発のがんだと結論づけた。」

「目に見えるがんは手術で全部取ったけど、恐らく確実に、目に見えない細胞レベルで腸周辺にがんが転移している。これから抗がん剤治療に移らなくてはいけない。」

「人によっては、抗がん剤はやりたくないって言う人がいる。それはその人の考え方だから、医者が強制することはできないんだけど、◯◯さんは、まだ若い。小さなお子さんもいる。ぜひ抗がん剤をやってほしい。いや、やらなくてはいけない。やらないと………ね。」

 

色んな写真を見せながら、先生はゆっくりじっくり説明してくれた。

どっちにしろ抗がん剤治療が必要なことは覚悟していたので、そこまでショックは受けなかった。問題は2つ………。

 

リンパ節の転移はないんでしょうか。

 

「正直、がんが体を巡っている可能性はゼロではない。だから今のうちに抗がん剤で全体的にがん細胞を殺していく必要がある。」

 

期間はどれくらいになるんでしょうか。

 

「前に半年ぐらいって話したと思うけど、状況が変わってきたかもしれない。今後抗がん剤治療は、外科の僕ではなくて、消化器内科の先生に引き継ぐ。日本で数少ない小腸がんの第一人者の1人だよ。彼に任せておけば大丈夫。この後その先生に診察を受けて話をしてもらうことになっている。期間がどのくらいになるかは、彼から聞いて欲しい。」

 

本当にお世話になりました。

深々と頭を下げ、お礼を言って診察室を出た。

 

 

しばらくして…。

 

「◯◯さん、16番にお入り下さい。」

 

呼ばれた。

 

まだ若そうに見える、体格のいい先生が座っていた。

「よろしくお願いします。◯◯先生から話は聞いています。これから一緒にがんばっていきましょう。」

「今日この後、採血とCTを撮ってもらいます。その結果を診て、抗がん剤の中でもどの薬を使っていくか検討します。ちょっと時間が必要なので、来週のこのぐらいの時間にもう一度来てもらえますか。その時、今後の治療の詳しいところを説明するから。」

 

 

 

 長い長い、第2ラウンドが始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

-39- 真ん中の線。

術後の精密検査の結果が伝えられる日が、あと1週間に迫っていた。

 

手術の後、先生談。

「手術で切り取ったものを徹底的に検査する。結果がどうあれ、早期発見ではなかったから、細胞レベルでがんが散らばっている可能性はある。どちらにしろ抗がん剤はやった方がいい。期間は、たぶん半年ぐらいになるかな。」

 

 

結果はもちろん気になる。

気になるけど、いつからか自分の体に対して、いい意味なのか悪い意味なのか、諦めというか妙に客観的に見るようになっていた。入院中痛い目に遭いすぎたからかな。なるようにしかならないなら、受け入れてその時最善の手段を取るしかないのだろう。

ここでダメならもうダメなんだろうと開き直れる先生と病院に、幸運にも巡り会えたからだろう。信頼関係がない場合は、さぞ大変だろう。不安で不安で毎日まともな精神状態じゃ過ごせないだろうな。

 

目の前の日常は本当に平和だ。

親子3人で川の字で寝る。よくある表現だけど、ホントに川の字で寝るもんなんだなー。超短い真ん中の線が、どーんと小さな大の字を描いている川の字。

 

横を向けば小さな息子と奥さんの寝顔。

幸せ過ぎるわ。

 

この生活がずっと続きますように。

 

 

-38- ただそれだけで。

トトロが住んでいそうな森がいくつも見えては流れていく。

 

新卒で入った会社を辞めてから、しばらく実家に引っ込んでいた時期がある(仕事は一応ずっとしてたけど)。

実家からは、最寄り駅まで歩けば1時間近くかかるし、最寄りコンビニでも歩けば15分はかかる。今住んでるところとは比べるべくもなく辺鄙もいいとこだけど、時々無性に帰りたくなる、いいところでもある。

 

旅行するお金がな………実家を愛して止まない僕は、特急列車に乗って、順調に辺鄙になっていく車窓を優雅に眺めて1人座っていた。

 

電車を降りると、独特の空気が迎えてくれる。うーん、このローカルな感じ、いいね。嫌いじゃない。

 

親に病院以外で会うのはほんと久しぶり。盆も正月も結局帰れていなかった。

 

その夜はすっごい豪華な肉を用意してくれていたので堪能した。ごめんね、肉好きの僕の奥さん。

 

 

さてさて。

翌日は父親と釣りに海へ繰り出した。

父親とは、昔こそよく釣りに行ったりたまにハイキングしたりお出かけしたもんだが、もう何年ぶりだろうか。

 

澄みきった青空。港の岸壁の先端に陣取って釣糸を垂らす。

釣れるかどうかは全くどうでもよかった。

病室ではない自然の中で、ただボーッとしたかった。あまり口数の多い方ではない父親と、先に大病にかかってしまった息子として、今こそ他愛のない会話をしたかった。

 

 

ただそれだけで、時間はあっという間に過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-37- 料理は…。

退院後の楽しみといえば、やっぱり食事だ。

 

1ヶ月半の絶飲食。

1ヶ月半と最初からゴールがわかっていれば大分気持ちは違うのだろうけど、2〜3週間過ぎた頃の先の見えない感じは、なかなかヘビーだったと思う。持ち前の諦めの良さで心を閉ざして何とか乗り切った。まあ、死ぬかもしれないと悩んでたから、それどころでない時期もあったけど。

前に書いた通り、ピークを過ぎたらひたすらご飯の写真や動画を求めてネットサーフィンに繰り出す毎日。アレも食べたいコレも食べたいと妄想したもんだ。今思えば、食べたいと思うのは生きたいと思うことだったのかなぁ。いや、そんなに深い意味はないな…。

いざとなったら流動食で涙を流す始末。

 

それでも、退院したらハンバーグ食べに行こうラーメン食べに行こうと思っていた。けど。

全然外食しようと思えない。

無理無理、絶対吐くわ。

 

そんな退院直後の1〜2週間。

 

 

奥さんが、「腸を切った人を元気いっぱいにする料理」の本を買った。

小腸の終わり部分と盲腸と大腸の始め部分をほとんど切った僕のためにあるような本。いわば、「腸という腸を切った人を元気いっぱいにする料理」の本。

中身を見ると…。

わぁ、健康的〜。

これ絶対、味ないでしょ。

 

この中から食べたいの選んでみて〜

と言われたものの。病院食と変わらんぞなもし。

 

じゃあ、肉と魚を1日ずつ交代で食べることにしよう。ご飯はお粥ね。

 

肉料理は挽き肉と豆腐と野菜のハンバーグ。

 これ、奥さんのオリジナルらしい。あえて本を見ない。さすがや。

 

これ以上健康的な肉料理があろうか。

 

…うん。

美味しい。

しみじみ染みる美味しさ。

 

魚料理は鮭を出汁に一晩漬けて焼いたやつ。

焼き魚は嫌いじゃないけど、入院前はわざわざ魚を食べようとなんてしなかった僕。

 

あれ?

魚ってこんなに美味しかったっけ…。

 

 

食べてるうちに、美味しい理由がわかった。

 

生きて、家でご飯を食べてるから。

作ってくれている人が、最愛の人だから。

 

 

 

 

 

-36- おじいちゃん。

退院して2週間程経った。

 

まだお腹は痛かったけど、だいぶ歩けるようになった。1時間ぐらいは歩き回れる。15分に1回は休憩が必要。

 

ふーやれやれどっこいせっと。

 

完全におじいちゃんだわ。

 

おじいちゃんといえば、同室の向かいのベッドの、退院前夜の明け方に吐いちゃって、急遽鼻から管入れて退院がおじゃんになっちゃったおじいちゃん。無事退院できたかなぁ。鼻の管初めて入れてすっごい嫌がってたのを、僕は1ヶ月以上入れてるから大丈夫ですよって、全然大丈夫じゃない励ましをしたなぁ。でも後でこっそり看護師さんが、おじいちゃんすごい励まされたみたい、ありがとうって言いに来たなぁ。人間何が励ましになるかわからんもんだ。

 

おじいちゃん、退院したら旅行に行くって言って、奥さんと娘さんと計画してたらしいけど泣く泣くキャンセルしてた。

 

 

そうだ。

そろそろ旅行したいな。

 

でもお金ないし。

 

そんなときは実家だな。

ウチから電車で1時間半もあれば着くけど、なかなかの田舎にある実家。ひとつ気分転換に行ってこよう。親にも今回散々心配かけたことだし。さぞ息子の笑顔を見たいだろう。入院するまでは忙しくて、正月にも帰れなかったから。

 

鈍行で行くのもいいけど、立つのは正直つらい。見た目は健康な30代にしか見えないから、席を譲られるはずもなし。

 

特急で行こう。

車窓から優雅に景色を眺めながら、ゆったりのんびり座って行こう。そのくらい贅沢してもいいかな。

 

着いたら、釣りに行こう。

 

何も考えずに、ボーッとしよう。

 

 

何かを「しよう」と考えるのが、えらく新鮮に感じる今日この頃だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-35- ちょっとそこまで。

今までパジャマを着る習慣はなかった僕だけど、すっかりパジャマでゴロゴロすることに慣れてしまって、家に帰ってからは基本的にずっとパジャマで過ごしていた。

 

パジャマ、楽。

何よりも、自宅は楽。落ち着く。

とにもかくにも、パパは帰ってきたぞ。

 

ちなみに、パジャマの語源はヒンズー語の「パージャーマー」というゆったりした服(下のみ)のことらしい。

 

まあ、どうでもいいんだけども。

 

 

 

お腹の傷の激痛は相変わらずだった。

でも必ず1日に1回散歩に外出するようにとの先生のお達しだった。

「平日の昼間から毎日出歩いてると、近所の人からはちょっとアレかも知れないけど、まあ気にしない気にしない。はっはっは。」

とのことだった。

 

散歩には必ず奥さんが付き添ってくれた。息子もベビーカーでスヤスヤ伴走。

 

なぜ散歩が必要なのかはすぐにわかった。

近所の歩いて3分のコンビニに辿り着くのがやっとだった。5分のコンビニには辿り着けない。

傷が痛いのもそうだけど、足が前に出ない。息がすぐ切れる。頭がボーッとする。自分が思っているレベルを遥かに越えて、1ヶ月半の絶飲食とベッドでゴロゴロ三昧は、体力を激減させていたようだ。

 

これがリハビリって奴か。

道行く人にどんどん抜かれる。道路のちょっとした段差に躓きそうになる。階段なんてもっての他。手すりやベンチはまさに神の救いの手。

 

 

これからの人生、身体障害者の人に優しくなれるな。間違いなく。

 

 

 

 

 

 

 

 

-34- 流れ行く景色 其の2。

退院の朝。

 

最後の病院食はなんとなく名残惜しい。

退院してからの奥さんの手料理やら外食やらからすれば、味気ない食事であろう病院食だ。でも、僕は病院食の美味しさとワクワクを忘れないだろう。

 

 

奥さんと両親が迎えに来てくれた。

 

病院貸出のパジャマを脱ぎ、Tシャツとジーパンを着る。普段着は1ヶ月半振りだ。あれ?ベルトってどうやって締めるんだっけ?

 

ナースステーションに寄って、お世話になった看護師さん達にご挨拶。

「あらー、爽やかな格好でー。」

「あれ?もう退院なんでしたっけ?早ーい。」

ほんとに、看護師さんの明るさに助けられることがたくさんあった。

 

ありがとうございました。

 

 

受付で退院の手続き。

高額医療費の限度額認定証を出したおいたので、とりあえず払える金額でよかった。

医療保険の診断書と、傷病手当ての書類も提出。この辺はきっちりやっておかないと、あっという間に家計は火の車になる。なんせ給料はしばらく1円も入ってこない。

 

駐車場の車に行くと、長男が母親の横でスヤスヤ。今日から思う存分一緒にいられる。抱っこはお腹の傷が塞がりきってないからしばらく控えるように言われてるけど。普通の子より体格の大きいウチの子、お腹パッカーンっていっちゃうよ、と先生談。

まあまあ、顔見て笑顔返されるだけでパパは大満足。

 

車の窓から外が見える。

転院の時とは違う。今度はこの景色の中を歩いていいんだ。

自由だ。自由って、素晴らしい。

 

 

 

 

-33- 最後の夜。

手術が終わってから、部屋が大部屋から個室になっていた。

 

手術直後は経過観察で個室になるのだとか。

差額ベッドが怖くて聞いてみたら、この部屋はかからない個室だそうで。次の人が来たら移ってもらうから〜と言われてから、6日間そのまま快適な個室生活だった。ありがたや。

 

「ご飯、かなりちゃんと食べられてるみたいですね。傷口もキレイだし。毎日歩いてるし。」

 

5分粥食になってからというもの、ご飯が急にご飯らしくなって。うれしくてうれしくて。毎回完食していた。

 

「じゃあ、明後日ぐらいに退院しちゃいますか。」

 

え。

いいんですか?

 

「まあ、最低1ヶ月は自宅療養になるけど、退院は全然問題ないですよ。」

 

 

 退院か………。

 

退院できる日が来るなんて。

イレウス管を入れた夜、告知された夜、手術前日の夜。

ご飯が食べられて、家に帰って、4ヶ月の息子を抱っこして、家の布団で川の字で寝る。そんなことは考えるのも贅沢だと思っていた夜。

 

退院できる。

 

家族に連絡したら、みんな本当に喜んでくれていた。心配かけてたんだなぁ。

 

 

退院の前日、大部屋に移った。

入院生活最後の夜は、なんとなく名残惜しくもあった。

退院したら、何をしようか。

もうちょっと体動くようになったら、旅行行きたいな。でもお金ないなぁ。しょうがないから実家にちょっと帰るか。田舎でのどかな実家に。釣りに行きたいな。のんびり1日、ボケーっと釣りをしたい。そうだ、入院生活のことをブログに書いてみよう。あんまり深刻で難しい感じにしないで、ゆるーい感じで。

 

「術後の精密検査の結果は、1ヶ月後に出ます。小腸や大腸からちょっと外れたところ、直腸の近くに小さな腫瘍があったので切除したけど、それが何なのか検査します。手術前のCTで診ると、がんが小腸から点々と進んでいっている。これが、途中で食い止められてここで止まったのか、それとも拡がっている最中だったのか。それを突き止めます。」

「この映っているがんは全部取り除いたけど、拡がっている最中だったとしたら、目に見えない細胞レベルでこの辺りにがんができている可能性が高くなる。そうなったら、抗がん剤で治療をしていくことになるから。」

 

先生の説明が頭を過る。

 

抗がん剤か…。

 

噂は聞く。副作用がキツいって。

どうキツいのか、どのくらいキツいのか。

考えても仕方ないけど。

やらないと死んでしまうなら、やるしかない。家族を守るために。

 

まあ、結果が出るのは1ヶ月後。

とりあえず、のんびりしよう。

 

入院最後の夜は更けていった。

 

 

 

 

-32- 至近距離。

【脊柱管狭窄症】

 先天的または後天的に背中の脊柱管(髄膜に包まれた脊髄などが通る管)が狭くなり、 脊髄や神経根が圧迫される病気。頸椎や腰椎に起こることが多く、伸ばして立っていたり歩いたりすると、ふとももや膝から下にしびれや痛みが出て歩きづらくなる。日頃の予防は背筋を伸ばして歩くのでなく、少し前屈みになって歩くと楽になる。

 

 

手術前の硬膜外麻酔が入らなかった件。

手術から3日経っていた。

 

「以前に脊柱管狭窄症と診断されたり、家族にそういう人がいたりしませんか?」

手術後、先生から聞かれた。

 

そういう診断されたことはないですが、高校生の時にギックリ腰やって以来、腰痛と背中痛が慢性的にずーっと持病ですねー。

 

「なるほどー。その辺がもしかしたら関係してるのかも知れないね。狭くてどうにも入っていかなかったらしくて。まあ、特に早急にどうこうってわけじゃないので、そのうちどこかで診てもらったらいいかもしれないね。」

 

しかし、ギックリ腰って名前は何とかならんもんですかね。若くてギックリ腰って言うと、全然周りが同情してくれないんですよねー。言葉の響きが軽すぎて。あんな痛いもんはないのに。

 

「あー。確かに年寄り臭いよね。」

 

欧米だとギックリ腰は「魔女の一撃」って言うらしいですよ。日本でもそのぐらいインパクトある名前にすればいいのに。

 

「ほんとだねー。」

 

そんな他愛ない会話ができるようになったのも、手術が成功したからか。

 

「それで、硬膜外麻酔が入らなかったから代わりに入れてたその手の甲からの麻酔、どうしますかね。代わりに飲み薬にすることもできるけど。」

 

あー。外せるなら外したいです。

 

「すごい歩いてくれてるし、外しちゃいますか。ロキソニン飲めば何とかなるでしょう。」

 

正直まだお腹の傷は動くと激痛だったが、管はどんどん抜きたい。こうして第3の管は抜けたのだった。

 

 

その日の夕方。

 

「二の腕から入れてるカテーテルも抜いちゃいますか。順調にご飯食べられてるし、もう栄養剤入れることはないでしょ。」

 

はい!お願いしまっす。

 

これで全部の管が抜ける。素晴らしい解放感。

ラストはちょっと楽しかった。

 

先生が自ら管を抜きにきたのだが、この4月に入ったピチピチの新人看護師さん3人を引き連れてきた。

 

「ウチの病院では栄養剤のカテーテルは鎖骨のところから入れるけど、この患者さんは転院してくる前の病院で入れたから、二の腕から入れてるのね。これから抜くから、参考によく見ておくようにね。」

 

二の腕の裏から心臓近くまで、60センチぐらい管が血管を通ってる。それをズルズルっと抜く。そう言われるとちょっとゾクっとする。

 

「痛みはないはずですよ。大丈夫大丈夫。ちょっと違和感するかな。」

 

それから先生はピチピチの若い女性3人にあれやこれや関西弁で楽しく教えながら、僕はピチピチの若い女性3人に二の腕を至近距離でガン見されながら、無事第4の管も外れた。

 

 

 

「あらー。何にも繋がってない◯◯さん初めて見た!スッキリしましたねー。」

 

検温に来た看護師さんに言われた。

 

はは。そういえばそうだった。

ご飯も食べられる。管も刺さってない。

 

身軽だ。この当たり前の身軽が、うれしかった。